い〜べや



 ここのHPにアドレスを知ってて来た方は、たぶん某私に会った事があって 名刺に書いてあるURLで来られたかまたは、通信仲間の可能性が高いが、 知らず知らずのうちに来てしまった(^^ゞという方はKONjiはいったい 何物かぁ〜っとなってしまう。 何やら最近の流行では名刺をもらっても気に入らないと折り曲げるのが 流行ってるらしい。
 ここのHPを開いて丸3年になるが以前は自己紹介 するページがあったのでなんとなく知られていた。しかし現在ではそのページも 削除してしまったので、ただの「謎の変人」になってしまった(^^ゞ。

いいべや!

 某私の周辺からは「変人」モードで見られてはいるが、

なんもだ!

 決してそんなことはない。見方を変えれば「ただの凡人」に見えてくるから面白い。 たぶん視点の問題なのであろう。さて、「謎の変人」についてであるが、ここいらで 以前公開していた簡単な自己紹介ページより充実した内容で某私は「ただの凡人」 である事を証明してみたい。
 まずはじめに「KONji」っていったい・・・?とよく聞かれるがこれは「コンジ」と発音 する。高校時代のあだ名である。インターネット上ではHPで「KONji」又は「konji」で 書く場合が多いが、パソコン通信ではただの「KON」というハンドル名で通している。 別に使い分けている訳ではないが、しかし昨今のパソコン通信衰退の波に「KON」は 押し流されてしまったかもしれない。

いいべさ!

 その名を捨てた訳ではないが、表に出る事はほとんどなくなってしまった。っとは 言うものの中身はほとんど進化していないのでどこかで見掛けたら気軽に声を掛けて ほしい。 
 それでは、本題に入ることにする。
 某私は、幕府直轄領の蝦夷地で今から400年以上前に生存が確認されている。 そこはアンモナイトの産地「三笠市」である。産地と言ってもアンモナイトは煮ても 焼いても食えないのが難点であるが、たいそう高く売れるらしい。ここの読者は、 目を¥¥にしてアンモナイトで儲けようなどと考えるのはいいが、くれぐれも「熊」の エサにならぬよう注意していただきたい。 なにやら全国的に せっかく発掘されたものを、また埋めるのが流行ってるようだが・・・まあいいだろう。 現在、三笠市の人口は13kそこそこで あるが「熊口」の方が多いという噂もある。さしずめ熊が与党という事になろうか・・・ 注意あるのみである。

いんでないかい!

 蝦夷地の寺子屋を三笠→江別→静内→札幌→室蘭→札幌と浪人のように渡り歩き 高校時代のKONjiにたどり着く事になる。その頃から痩せて小さかったためボコボコに されていた。体育の授業では柔道で絞め技と称して死にそうになってから、自分の身を 守るため化学部に所属し、先輩の目を盗んでは火薬とロケット弾の研究に余念がな かったのである。劇薬なんかを使っていたせいかその頃の自分には指紋が酸で溶けて 無かったのである。おかげで学問はく染まったものの、3年間 全く勉強して無かったりしたが辛うじて出る事は出来たのであった。奇跡だったかもしれない(^^;

いかったしょ!

 高校時代には進学を希望してはいたが、当たり前であるが「頭」がなければダメである。 そこで、第一志望校は某予備校に決定する事になる。ちなみに第二志望以下の大学は 木っ端微塵であった。この決定に対しては暴挙だという意見もあるが、 自分ながら今でも感心している・・・現状をつぶさに見れば正解が目の前にあったからである。
 さて、高校時代には爆弾を作っていたにもかかわらず、大学の専攻は「建築」である。 夢は自分で設計した建物を自分で作った爆弾で爆破する。・・・そんな訳ないしょ(^^;;;  そんなこんなで1年間の予備校生活がスタートするのである。
 実を言うと予備校生活は薔薇色の人生そのものであった。授業に出席するかどうかは 本人の自由で、もちろん取らなければならない単位なんてのも無い。1年後の結果が すべての世界である。今から思えば、強制されない生活が自分に合っている事に 気がついたのはこの時かもしれない・・・(^^ゞ・・・現実に大学卒業後、設計事務所勤めの 数年以外は現在までその強制されない生活が続いている。仕事(図面書き)に縛られてる という噂もあるが・・・まぁいいだろう(^^ゞ

あ〜こわい

 貧乏にもかかわらず国立大学に行く「頭」を持ち合わせていない某私であるが、 私立に行く場合とりあえず勉強しないといけないのは数学と英語、それと物理か化学の3科目。 ところが「建築学科」に行くにはほとんどの大学は数学+英語+物理が常道なのである。 普通に考えればごく当たり前である。建物を作るのに火薬を作る知識はあんまり必要ない(^^ゞ。 しかし、爆弾ばかり作っていた某私は物理がぜんぜんダメで化学で受験できる大学を 探すことになる。これがまた泣きたくなるほど少ないのだ。

ばくるかい!

 結局、花のお江戸に田舎者が一人また増える事とありなり申した。得意種目である、 火薬製造の問題は出題されなかったが某大学の建築学科に籍を置く事になったのである。 田舎者にとっては憧れのキャンパスライフ(死語(^^;)がスタートした。
 そもそもなぜ大学の「建築学科」だったのか? それは某私が小学生のときにさかのぼる。 新聞の折込広告に住宅の間取りがあって良くそれらを眺めていて、自分ならこうする・・・ などと考えていたのである。両親にその話をすると、建築士という資格があればその仕事が 出来ると言うのである。大学を出れば建築士を取れるような話をされ、「じゃ、行こう!」と ガキは考えたのである。中学の頃、一時期であるが「将棋」に凝った事があって上京して 棋士になろうかと考えた事もありはしたが、いわゆる「趣味」で終わったのである。 まず、棋士の能力は無かったと悟ったのが・・・幸いしたかもしれない(^^ゞ

いいべさ!

 某私が進学した某大学は建築学科の他に、電気工学科・電子工学科・情報工学科・ 化学工学科・機械工学科などがあったが、建築学科にはいわゆる「レポート」というものが 無かった。他学科の学生は毎週のように何通ものレポートを提出するのがたいへん そうであった。建築で忙しいのは「設計製図」の課題である。ただしこれは、年に数回 提出するだけなので他学科のような忙しさは無いのである。さて、当然のごとく時間が あれば高校時代と同じ道を歩む事になる。もっと他にやる事があるだろうと思われる だろうし、勉学に励めという意見もあると思うが、それがうまくいかないのである。 実は某予備校時代に、ちっとクラシックギターをかじっていた事もあってか音楽関係の 某クラブに入部したのである。

いいしょ!




つづく・・・